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京都地方裁判所 昭和42年(わ)1138号 判決 1969年12月09日

被告人 上久保操

昭一七・四・四生 枠大工

和田隆志

昭一三・二・二六生 米穀商

主文

被告人上久保操を懲役七月に、被告人和田隆志を懲役四月に処する。

被告人和田隆志に対しては、この裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人妹尾昭一に支給した分は全部被告人上久保操の負担とし、証人榎原邦雄、同関進一(以上昭和四三年一月二六日付請求)、同栗山嘉一に支給した分は全部被告人和田隆志の負担とし、その余は全部これを二分してその一宛を被告人両名の各負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、いずれも自動車運転の業務に従事しているものであるが、

第一  被告人上久保は、昭和四一年一二月一八日午後一〇時一五分頃、軽四輪貨物自動車(六京ち八〇五号)を運転して、京都府船井郡八木町字大藪古川橋付近国道九号線路上に、東南方に向け約四〇キロメートル毎時の速度でさしかかつたところ、同所付近は霧がかかつていたうえに、対向車両と行き違うため前照燈を下向きにしていて、前方の見透しは約三〇メートルに過ぎなかつたのであるから、このような場合に、およそ自動車運転者としては、適宜減速するは勿論、前方をよく注視し、進路の安全を確認しながら進行するようにして、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠たり、不注意にも、対向車両に気をとられながら、漫然同速度で運転を継続した過失により、おりから、右道路前方の対向車線上に接近してくる自動車の後方から、他の自動車が、やや中央線寄りに進出して追い越そうとしているのを認めたので、これを避譲すべく僅かに左方へ転把した直後、進路前方を同方向に進行していた広瀬益枝乗用の足踏自転車に気づかないで同車の後部に自車前部を衝突させ、その衝撃で、同女を自車のボンネツトに跳ね上げ、運転台前面ガラスに激突させたうえ路上に転落させ、よつて、間もなく同所付近において、同女を第五頸椎骨骨折による脊髄震盪により死亡させ、

第二  被告人和田は、前記日時頃、軽四輪貨物自動車(六京ぬ一二七五号)を運転して、前同所の路上に、東南方に向け約四〇キロメートル毎時の速度で、判示第一の被告人上久保運転の軽四輪貨物自動車の後方からさしかかつたところ、前記のような気象状況でもあつたから、このような場合に、およそ自動車運転者としては、進路前方をよく注視し、通行人等障害となるものの早期発見につとめるなどして、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠たり、不注意にも、右道路前方の対向車線上に停止して前照燈を照射中の乗用自動車一台およびその周辺に二、三人の者がいるのを約二六メートルさきに認めながら、これらに気をとられるままに、前照燈を減光したのみで、漫然同速度で運転を継続した過失により、判示第一の事故により瀕死の重傷を負つた広瀬益枝が進路上に転倒している姿を、前方約三、四メートルの地点に接近するまで発見しえず、同女を認めるや、急制動をかけ右方に転把しようとしたが間にあわないで、自車前輪で同女の上体を轢過し、よつて、同女に対し加療約数日ないし十数日を要するものと認められる右前腕末梢外側表皮剥離、左頭頂環状損傷等の傷害を負わせ、

第三  被告人上久保は、判示第一のように、その日時、場所において、自己の運転する軽四輪貨物自動車の交通により、広瀬益枝に致死の交通事故を惹き起しながら、

(1)  直ちに運転を中止して、同女を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず、

(2)  直ちにもよりの警察署の警察官に、右交通事故が発生した日時、場所等法令に定める事項を報告せず

に逃走し、

第四  被告人和田は、判示第二のように、その日時、場所において、自己の運転する軽四輪貨物自動車の交通により、広瀬益枝に傷害の交通事故を惹き起しながら、

(1)  直ちに同女を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず、

(2)  間もなく警察官が前記事故現場に到着しその場にいるのに、直ちに同警察官に右交通事故が発生した日時、場所等法令に定める事項を報告せず

に逃走し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人上久保の判示第一および被告人和田の判示第二の各所為は、それぞれ刑法第六条、第一〇条に則り、刑の軽い行為時法である昭和四三年法律第六一号刑法の一部を改正する法律による改正前の刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人上久保の判示第三の(1)および被告人和田の判示第四の(1)の各所為は、それぞれ道路交通法第一一七条、第七二条第一項前段に、被告人上久保の判示第三の(2)および被告人和田の判示第四の(2)の各所為は、それぞれ同法第一一九条第一項第一〇号、第七二条第一項後段に該当するので、判示第一、第二の各罪の所定刑中禁錮刑を、その余の各罪の所定刑中懲役刑を選択し、以上はそれぞれ刑法第四五条前段の併合罪なので同法第四七条本文、第一〇条により最も重い判示第三の(1)および判示第四の(1)の各罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内において被告人上久保を懲役七月に被告人和田を懲役四月に処し、被告人和田に対しては、諸般の情状に照らして刑の執行を猶予するのを相当と認め同法第二五条第一項により、この裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担について、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用する。

(被告人和田の弁護人表権七の主張に対する判断)

(一)  弁護人は、被告人和田が広瀬益枝を轢過したとき、同女は判示第一の交通事故による傷害により既に死亡していたのであるから、被告人和田の本件業務上過失傷害罪は成立しないと主張する。

案ずるに、被害者広瀬益枝が、被告人上久保の運転する軽四輪貨物自動車に追突され路上に転倒して間もなく、同女の上体を轢過したのが被告人和田の運転する軽四輪貨物自動車であることは、判示第二に認定するとおりである。そして、医師上田政雄の鑑定書並びに証人上田政雄の当公判廷における供述を総合すると、判示第二認定の右前腕末梢外側表皮剥離および左頭頂環状損傷の傷害は、その部位、程度、形状並びに出血の模様等により、第二の事故車両である被告人和田の運転する自動車の轢過によつて生じたものであることが推認され、かつ、それらの損傷にはいずれも生活反応が認められるのである。さらにこれを敷衍すれば、当時それらの損傷の傷口には血液の凝固が存在して生活反応が認められ、このことから、右損傷は、いずれも被害者益枝の心臓の鼓動と肺臓の運動が停止する以前における、血液の循環が行なわれていたときに受けたものであることが推認され、また、心臓の鼓動による血液の循環は、たとえそれが瀕死の重傷を負い、いわゆる虫の息である間もなお行なわれていることが明らかである。

ひるがえつて、刑法上人の死亡の時期は、その心臓の鼓動が永久的に停止するに至つたときと解すべきであるから、前記のように、これらの損傷に凝血が存在して生活反応が認められる以上、それは、右益枝の心臓の鼓動が永久的に停止する以前の、生存中における受傷と認定するのが相当である。

なお、弁護人は右の主張に関連して、心臓の機能停止と生活反応との消失の間には、分秒単位の極く短時の間不一致を来たし、その損傷に生活反応が存在するということのみでは、必ずしも生前における受傷と断定しえないものがあると付言する。

しかし、証人上田政雄の当公判廷における供述によると、心臓の鼓動が永久的に停止すれば、すなわち血圧は低下して無くなり、停止後の損傷による傷口には血液の凝固は存在しないことが認められ、爾後の損傷による傷口にあらわれる血液は、ここにいう凝血ではなく、そこにはもはや生活反応は認められないことが明らかである。そして、心臓の鼓動の永久的停止と生活反応の消失との間における時間的差異は、学問上は殆んど存在しないものとされているのである。されば、その損傷に生活反応が認められる以上、それは、生前における受傷と推認するに難くないのである。

弁護人の主張はこれを採用しない。

(二)  弁護人は、被告人和田は、本件交通事故を惹き起してのち、直ちに停車して被害者広瀬益枝の転倒している場所に引き返したが、同女は既に死亡していたものと信じたので、医学に素人の被告人和田としては、もはや講ずべき救護の措置はないものというべく、また、救急車は目げき者らによつて連絡されていたし、現場における事故の再発を避けるため、一般交通車両等に対する合図など予防措置を講じたのであるから、被告人和田には、道路交通法第七二条第一項前段の規定による義務違反はないと主張する。

なるほど、前掲の関係各証拠を総合すると、被害者広瀬益枝が、判示第一の交通事故により瀕死の重傷を負つたことは、これを推認するに難くないのであるが、被告人和田が判示第二の交通事故を惹き起してのち、引き返して路上に転倒している同女を目げきした当時、同女は、一見して既に死亡していたものと即断しうる状態にあつたとは認められない。却つて、証人杉本茂の当公判廷における供述等に照らしてみると、同女は、出血多量を思わせてはいたが、医学に素人の者にとつては、その生死を判別し難い状態にあつたことが窺い知れるのである。そうだとすると、本件のように、交通事故による人の死傷があつたときは、同女を道路交通法第七二条第一項前段にいう「負傷者」に含ませ、同条項による救護の対象とすることは、至極当然のことと解せられる。(最高裁判所昭和四四年七月七日第二小法廷決定参照)

しかして、同条項前段の規定は、交通事故を惹き起した車両等の運転者その他の乗務員に課せられた義務であつて、それは、当該交通事故の具体的状況に即応した、必要にして十分な負傷者の救護その他の措置を講ずることをもつてその内容としているものと解すべきである。したがって、当該運転者らが、必要な救護その他の措置の或るものを講じ、若しくはそれらの措置の一部分を講じたのみでは、未だ、同条項前段の規定による義務をつくしたものと称することはできない。

これを本件についてみるに、被告人和田は、判示第二の交通事故を惹き起してのち、直ちに当該自動車の運転を中止して、被害者広瀬益枝の転倒している現場に立ち戻つたが、その際、「警察官に屈け出なければならないが」と話したところ、付近にいた目げき者らが、「警察官に通報し、救急車に連絡した、もう一度行つてくる」などと云つたので、被告人和田は、そのように云われるままに、自ら医師に通報して現場に招致する等の救護措置を講ぜず、また、警察官が現場に到着するまでに、自ら付近路上における事故の再発を防止するための適切な措置も講じないで、間もなくその場から立ち去るなどして、むしろ一般傍観者を装おうとしていたことが窺えるのである。されば、これらの事実を本件交通事故の具体的状況に照らして勘案すると、被告人和田は、道路交通法第七二条第一項前段の規定による救護等の義務をつくしたものとはとうてい認めることができない。

弁護人の主張はこれを採用しない。

(三)  弁護人は、本件交通事故については、判示第一の事故により通報を受けた警察官らが、現場に到着して必要な予防的措置等を講じたのであるから、かような場合には、被告人和田は道路交通法第七二条第一項後段の規定による報告義務を負わないものというべく、さらに、被告人和田に右の報告義務を課することは、自己に不利益な供述を強要することになると主張する。

そこで、前掲の関係各証拠を総合すると、被告人和田は、判示第二の交通事故を惹き起してのち、直ちにその現場に引き返したが、その際、交通事故の通報を受けた警察官が、間もなく本件現場に到着し、その場にいたことが認められる。しかして、道路交通法第七二条第一項後段にいう「警察官が現場にいるとき」とは、警察官が、たまたま当該交通事故の現場に居合わせた場合は勿論、その後その現場に来合わせた場合若しくは当該交通事故の通報を受けて現場に到着した場合をも含むものと解すべきであるから、被告人和田は、前記のように本件現場に到着した警察官に対し、直ちに同条項後段の規定による本件交通事故が発生した日時、場所その他所定の事項を報告すべき義務があるものといわなければならない。

それに、同条項後段が、当該運転者に前記のような報告義務を課したのは、個人の生命、身体、財産の保護並びに公安の維持等をその職務とする警察官に、交通事故が発生した日時、場所その他所定の事項を速やかに知悉させ、被害者の保護や、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため、当該運転者らの講じた措置が適切であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等的確な判断を行なわせて、万全の措置を講じさせようとする趣旨にほかならないものと解すべきであり、このように解するときは、その報告の内容は、交通事故の具体的状況に照らして必要な限度に止めるべきものと解しうるものの、たとえ、当該運転者や警察官らによつて、被害者の救護や、交通秩序の回復等の措置が講ぜられ、そのうえ、さらに講ずべき措置が存しないような場合でも、当該運転者は、その報告をなしえない特段の事情のない限り、なお、警察官に対し、直ちに交通事故が発生した日時、場所等必要な事項の報告をなすべき義務を免れることはできないものと解するのが相当である。しかも、その報告は、交通事故の現場における行政的処理に必要な客観的状態の告知であれば足り、刑事法上にいう自白に必要な主観的要素等は、これが報告の内容とはしていないのであるから、前記のような場合に、当該運転者に同条項後段の規定による報告義務を課したからといつて、弁護人の主張する、自己に不利益な供述を強要することにはならない。

しかるに、被告人和田は、前記のように、警察官が本件交通事故の現場にいて、直ちに報告をなしうる状況にあつたにもかかわらず、その警察官に対し、本件交通事故が発生した日時、場所その他必要な所定事項の一切を報告しないのみか、警察官から、関係のない者は立ち退くようにといわれたのを奇貨としてその場から立ち去つたのであるから、その不作為による所為は、同条項後段の規定による報告義務に違反するものと断ぜざるをえないのである。

弁護人の主張はこれを採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

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